煙害私見

タバコの煙が苦手です。紫煙が臭いだけではなく、服や髪に付着して自宅まで追いかけてくる臭いはたまったものではありません。
20世紀末までは煙害を訴えても「我慢しろ、大人気ない」と言われたものですが、21世紀になって社会問題として取り上げられるようになったことは本当にありがたい。
それでもスモーカーからは「嫌煙者はワガママである」と言われることがなきにしもあらず。
これまでのスモーカーとの論争をまとめてみました。

Q.タバコばかり注意して車の排気ガスに文句を言わないのはアンバランスだ

A.タバコの煙は著しい苦痛ですが、排気ガスはそれほど苦痛ではありません

理由1:排気ガスと比較してタバコは圧倒的に臭い
・町を歩いていて息が出来ない程の排ガスを浴びる事はまずない。服に排ガスの臭いが付着する事もない。
・町を歩いていて路上スモーカーの煙が苦痛な事は多々ある。煙を一瞬浴びるだけで強い刺激臭を感じ、目に痛みがある。数分間浴びると髪や服からタバコ臭が取れない。

理由2:車は総合的に利益をもたらすが、タバコは総合的に不利益しかもたらさない
・車は社会に大きな利益を与え、不利益と相殺します。交通事故や排ガス中の有毒物質を減らす努力は継続されています。
・タバコは社会に大きな不利益をもたらし、タバコ会社以外に利益は何もありません。

理由3:車と比較して、タバコはより深くプライベート空間に侵入します
・飲食店の中やマンションのベランダで車のエンジンを回す人はいません。もし居たらタバコと同様に非難されるでしょう。

Q.食品添加物だって体に悪い。そちらに文句を言わないのか?

A.食品添加物に文句はありません
誰かが私の隣でファストフードを食べても、添加物が宙を舞って私の鼻や口に入ったりはしません。
誰かが私の隣でタバコを吸えば、有害物質が私の体内に入り込み、著しい苦痛を感じます。

Q.迷惑はお互い様。嫌煙者は他人に何の迷惑もかけずに生きているのか?

A.私は知らない間に他人に迷惑をかけています。しかし、そのことがタバコの煙を容認しなければならない理由にはなりません
例として、満員電車を考えてみて下さい。
乗客は他人のヒジが当たっても「お互い様」と容認する必要があるでしょう。
では、乗客の一人がウニのようにトゲの付いたキーホルダーを持っていたらどうでしょう。刺される事を我慢するべきでしょうか。
スモーカーはタバコを「肘が当たる」程度の迷惑だと考えているのかもしれませんが、嫌煙者にとっては「トゲで刺される」ほどの苦痛があります。これは「お互い様」ではありません。

Q.それでも迷惑はお互い様。そこを我慢するのが社会性というものだ

A.その意見は、他人の迷惑行為を無限に許容しようという意見と同義です
例えば、あなたの隣人が家の前を生ゴミで溢れさせ、夜中に奇声を発する人だったとして、これを見過ごすことが社会性と呼べるでしょうか? 度を過ぎた寛容さは反社会的行為の助長にすぎません。
また、ベランダ喫煙の場合を考えてみて下さい、一本数十円のタバコが吐く煙は、数百万~数千万円の自宅を手放す動機になるほど苦痛です。これは「お互い様」と言えるでしょうか?

Q.そんなにタバコが気になるなら外出しなけれよい

A.それは問題の解決策になりません
スモーカーが煙を出さないようにすることと、嫌煙者全員が家から出ないようにすることの、どちらが合理的な解決手段でしょうか?
仮に一軒家に住んで外出を控えたとしてもタバコのトラブルは発生します。隣人が屋外で喫煙したり、室内の換気口が隣家の窓の近くにある場合などです。
一軒家は住み替えが困難なため、却って問題が深刻化することもあります。
また、引っ越すことで問題が解決するとしましょう。スモーカーが煙を出さないようにすることと、近隣の嫌煙者全員が引っ越すことの、どちらが合理的な手段でしょうか?

Q.自宅の敷地内の行動を制限されるいわれはない

A.近代社会でその理屈は通用しません
工場が著しい騒音を出したり土壌を汚染したとして「敷地内だから自由」という理屈が通るでしょうか。日本の社会はそのようになっていません。
もちろん自動車の走行音や、隣家の生活音はあるていど我慢するべきでしょう。
しかし、夜中にカラオケを歌ったり、塗装でシンナー臭を撒き散らしたとしても我慢するべきでしょうか?

Q.他人の嗜好を非難するべきではない。「コーヒーの臭いが苦痛だ」と言われたらどうする?

A.公の場でのコーヒーを止めます
もし「コーヒーが臭い」という社会的合意があるのなら、公の場では飲まないか、臭いの出ない飲料に切り替えます。
屋外やレストランでのコーヒーは控え、専門店だけで飲むようにするでしょう。

Q.タバコの健康被害に科学的な根拠はない

A.マナーの問題と健康の問題を混淆しています
仮に健康に良いタバコが発明されたとしても、「臭い」というただ一点で非難され続けるでしょう。

Q.一服の清涼感は何物にも代えがたい、この楽しみが分からないから喫煙を非難するんだ

A.その理屈だと、全人類がスモーカーにならないと問題が解決しません
分かり合えないのが人間です。他人に嗜好を強要するのではなく、理解し合えないという前提で行動するべきでしょう。
嫌煙者はスモーカーの「吸う権利」を尊重するので、スモーカーも嫌煙者の「吸いたくない権利」を尊重してもらえないでしょうか。

Q.嫌煙者は他人を攻撃する材料にタバコを選んでいるだけではないのか

A.正義感を振りかざしているわけでも、攻撃しているわけでもありません
嫌煙者は正義感を振りかざすために嫌煙ポーズをとっているわけではありません。本当に臭くて耐えられないのです。
スモーカーが「清涼感」を味わう度に、嫌煙者がハンカチで鼻を押さえ、目から涙を出し、可能なら換気し、帰宅後に服と髪を洗うという苦痛は「喫煙の権利を守るコスト」として適切でしょうか。
ゴルフはゴルフ場で、歌はカラオケボックスで、排泄はトイレでというお願いは「正義感」でしょうか。
タバコも同じです。定められた喫煙所だけで吸ってほしいというお願いは、それほど困難ではないはずです。

2013年2月13日