3
30
200km

IMG_6241.jpgシーズンインから2週間で走行距離が200kmを超えました。
なかなか良いペースです。

本日は生振経由で石狩湾まで行き、当別経由で帰る50kmのコース。
凍ったマクンベツ川とか、フキノトウの芽など、春らしい景色を見ることができました。
IMG_6237.jpgIMG_6235.jpgRoute.png

3
18
D.I.Y.

IMG_6119.jpgDIYでスチール棚を作りました。


勉強机の横にカレンダーでも掛けようかと思ったのですが、壁面がコンクリートなので画鋲が打ち込めません。
セロテープで留めると半日も経たずに剥がれてしまいます。おそらく壁クロスはテープやシールを弾くように加工されているのでしょう。

そんなわけで壁面カレンダー計画は諦めていたのですが、あるときふと「机と壁の間に支柱を立てれば良いのではないか」と思いつきました。
いざホームセンターに行くと、木製から金属まで様々なDIY製品が並んでします。
今回は断面がL字型のスチールラック用の支柱を購入。専用のネジで簡単に組み立てられました。
ポールは白と黒の2種類があるのですが、専用ネジも白と黒があって驚き。さすが日本人の気配りは一味違います。
このほか、100円ショップで棚用の網や籠やフックを購入。4000円と3時間ほどで念願の壁面カレンダー計画が完成したのでした。

丁度良いサイズのカレンダーが見つからず、オモチャばかり置いてあるのはご愛嬌ということで。
MyDesk.jpg

3
17
シーズンイン2015

自転車を出しました。
今年の雪解けは本当に早くて、3月上旬には道路が見えていました。とはいえ、雪が解けたばかりだと道路は水たまりなので走れません。
3月8日(日)は気温が上昇したため路面がドライになり、ライダー倶楽部の面々から「もう走れるんじゃない?」と、シーズンインの第一声を聴いたりしました。

僕もすっかりその気になって地下室から自転車を搬出。油を差したり空気を入れたり、走る準備がバッチリです。
ところが、翌3月9日からみぞれ混じりの雪が続いて冬に逆戻り。
やっぱり4月まで無理かなあ、と諦めかけていたのです。

翌週から再び気温が上昇し、3月16日には札幌市内の気温が10度超え!。これはもう走るしかありません。
そんなわけで、自宅からあいの里まで往復20kmほどを走ってきたのでした。
久々の自転車は爽快。シーズン初めですが、ハンドサインやブレーキのタイミングも体に染み付いており問題なし。
楽しい自転車の季節が始まりました。

3月17日のシーズンインは自分史上最早ではないだろうかと過去の日記(紙ベース)を探ってみると、2011年の記録を1週間更新していました。
こうしてみると、結構数字が揃っているものですね。

FirstDate.gif
青線はシーズンイン日(自分の日記より)、
緑線は日本の春季平均気温(気象庁サイトより)

昨シーズンの走行距離は4077Kmでした。今年はどれだけ走れるかな。

3
11
3.11

IMG_0022.jpg東日本大震災から4年経ちましたね。
この「近状」に震災のことをあまり書いてなかったので、思いつくままメモします。

西暦2011年3月11日 午後2時46分。
震災の瞬間、僕は札幌にあるオフィスビル6階の職場にいました。
最初は「揺れがドカンと来たな」ぐらいにしか思いませんでしたが、その揺れがいつまでも収まらない。
1分を過ぎると、いつもと違うなと感じ始めました。
オフィス入口ドアを開放して避難準備。落下物に備えたり、揺れる室内をカメラで録ったりしました。

揺れが収まると先ずはメール。近親者に「揺れたけど無事」報告です。
関西の方からは「揺れたの?気づかなかった」と呑気なコメントが帰ってきて一安心。

札幌支社が無事なことを本社に知らせようとしたのですが電話が繋がりません。インターネットも切れています。
どうやら会社で使っているAUの回線がどこかで切れてしまったようです。ソフトバンクやドコモは無事だったので個人のiPhoneで情報収集。
震源地が東北らしいこと、関東でもかなり揺れたことなど断片的な情報が入ってきます。
しかし、この時点ではまだ「いつもより長く揺れただけ」という意識だったので仕事に戻りました。

30分ほど経つとテレビを見ていた同僚から「ちょっと来て」と声がかかりました。
画面に映っていたのは見たこともないような大規模な津波です。
津波は田畑を飲み込み、大量のガレキとともに平野を登っていきます。道路がみるみる水没して車に取り残される人達。
これがヘリコプターからの中継であり、今まさに起きている出来事だとはとても信じられません。
この映像を見てようやく、1995年の阪神大震災に匹敵する災害に見舞われたのだと認識しました。

今日はもう仕事にならないなと思い、家族と連絡を取って駅で待ち合わせ。
JR運休で駅が混雑している他は街の様子に変わりなし。互いの無事を喜んで帰路についたのでした。

帰宅してテレビを点けると、首都圏の帰宅難民の様子や、気仙沼の火事、千葉のコンビナート火災など、次々と恐ろしいニュースが映し出されます。

とりあえず今できることはと考えて、札幌市の避難場所や支援体制のPDFをダウンロード。
緊急時に家族で連絡を取る方法や集合場所、非常灯・非常食を確認して就寝したのでした。
このとき福島第一原発では深刻な事態が発生していたのですが、それを知るのは翌日の話。

3
10
後半戦

IMG_5464.jpg誕生日を迎えてしまいました。
アラフィフ2年目に突入です。今後ともお引き立ての程よろしくお願いします。

何度か書いていますが、僕は西暦2061年までは生きてるつもりです。
小説家マーク・トウェインは「自分はハレー彗星がやってきた年に生まれたから、次にハレー彗星が来るときにこの世を去るだろう」と予言して、実際その通りに亡くなったそうです。

自分に当てはめると次のハレー彗星の時は92歳。ちょうどいい感じなので目標にしています。
ということで、今回の誕生日でちょうど半分になりました。
これまでの経験でやっと半分。まだまだこれから楽しいことがあるだろうなと、期待に胸を膨らませております。(抱負っぽく語ってみた