3
11
3.11

IMG_0022.jpg東日本大震災から4年経ちましたね。
この「近状」に震災のことをあまり書いてなかったので、思いつくままメモします。

西暦2011年3月11日 午後2時46分。
震災の瞬間、僕は札幌にあるオフィスビル6階の職場にいました。
最初は「揺れがドカンと来たな」ぐらいにしか思いませんでしたが、その揺れがいつまでも収まらない。
1分を過ぎると、いつもと違うなと感じ始めました。
オフィス入口ドアを開放して避難準備。落下物に備えたり、揺れる室内をカメラで録ったりしました。

揺れが収まると先ずはメール。近親者に「揺れたけど無事」報告です。
関西の方からは「揺れたの?気づかなかった」と呑気なコメントが帰ってきて一安心。

札幌支社が無事なことを本社に知らせようとしたのですが電話が繋がりません。インターネットも切れています。
どうやら会社で使っているAUの回線がどこかで切れてしまったようです。ソフトバンクやドコモは無事だったので個人のiPhoneで情報収集。
震源地が東北らしいこと、関東でもかなり揺れたことなど断片的な情報が入ってきます。
しかし、この時点ではまだ「いつもより長く揺れただけ」という意識だったので仕事に戻りました。

30分ほど経つとテレビを見ていた同僚から「ちょっと来て」と声がかかりました。
画面に映っていたのは見たこともないような大規模な津波です。
津波は田畑を飲み込み、大量のガレキとともに平野を登っていきます。道路がみるみる水没して車に取り残される人達。
これがヘリコプターからの中継であり、今まさに起きている出来事だとはとても信じられません。
この映像を見てようやく、1995年の阪神大震災に匹敵する災害に見舞われたのだと認識しました。

今日はもう仕事にならないなと思い、家族と連絡を取って駅で待ち合わせ。
JR運休で駅が混雑している他は街の様子に変わりなし。互いの無事を喜んで帰路についたのでした。

帰宅してテレビを点けると、首都圏の帰宅難民の様子や、気仙沼の火事、千葉のコンビナート火災など、次々と恐ろしいニュースが映し出されます。

とりあえず今できることはと考えて、札幌市の避難場所や支援体制のPDFをダウンロード。
緊急時に家族で連絡を取る方法や集合場所、非常灯・非常食を確認して就寝したのでした。
このとき福島第一原発では深刻な事態が発生していたのですが、それを知るのは翌日の話。