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地図にない村

東急ハンズでレーザー彫刻を頼んでみました。
その名の通りレーザー光線を使って物体の表面に刻印してくれるサービス
刻印できるのはハンズで売ってる商品に限定されますが、木板、ステンレス、ガラス、iPhoneケースなど、対象は広い様です。

これで作ってもらったのは「部屋番号」。我が家では表札とは別に番号だけのプレートをドアに掲げているのです。(元ネタはイギリスのSF「プリズナーNo.6」)
今まではプリンタ出力を小さな額に入れて飾っていたのですが、数年経つと日焼けして読めなくなってしまいます。
まあ、プリント費用なんて微々たるものですが、折角だから永続性のあるものをと思ってレーザー彫刻を選んだ次第。

データはAdobeのイラストレーターでアウトライン化する必要があります。普通の人にはハードル高いのですが、画像処理が仕事だから難なくクリア。
ハンズで木材を選び、データと共に持ち込めば、一時間ほどで出来上がりです。
お値段は7×7cmの2480円。

自宅に戻り、背面にゴム磁石を貼り付けて出来上がり。ヤッター!
と思いきや、翌朝になると板が激しく反っていました。屋外に置いたので水分を吸って変形してしまったのでしょう。
水分が均等にしみ込めば平らになるはず、と放置する事1週間。なんとか元の平らな状態に戻ってくれました。

(おまけ)
写真はイギリスにある本物の「No.6」の表札です(2004年栗野撮影)。
40年以上も経った今でも、ロケ地となったホテル・ポートメイリオンには「プリズナーの村」を求めて訪れる人が絶えないのだとか。

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4億の軌跡

東京二日目は特に予定なし。
お台場の「ガンダムフロント東京」に行ってみました。
2009年に作られた「実物大ガンダム」を始め、ア・バオア・クーや実物大コアファイターが展示されているという新たな聖地。

歴代のガンプラを展示したスペースが凄まじい。
各時代の1/144スケールを並べることでガンプラの進化の様子がよく分かります。

ガンプラには大きく4つの転換点がありました。(俺調べ)

1.ポリキャップ
可動軸を円柱状のゴムで覆うことで関節の「ヘタリ」を無くし、パーツを塗装後に組み上げる事ができるようになりました。
2.「ムーバブルフレーム」という考え方

初期のガンプラは装甲がそのまま関節のヒンジになっていたのですが、ムーバブルフレームでは先ず可動する骨格が設計され、装甲はフレームに被せる物という考え方です。
これによりデザインはより精緻になり、スケールモデル並みのリアリティが生まれました。
3.色プラ
パーツ毎に色の違うプラスチックで成型することで、色を塗らなくてもアニメの設定どおりの色分けができるという代物です。
組み上げるだけで見栄えがすることから、ライト層の獲得に貢献したと思います。
現在の色プラは一つのパーツが一つの色ですが、初期には1パーツ3色という驚異の成型技術を駆使したプラモデルもありました(機甲戦記ドラグナー)。
4.スナップフィット
接着剤を塗らなくても、パーツをパチっとはめ込むだけで組み立てられるものです。
今となっては信じ難いことかもしれませんが、プラモデル用の塗料や接着剤は溶剤にシンナーが使われているため、ある種の中毒症状があるとしてPTAから目を付けられていた時期があるのです。
プラモデルを「健全なホビー」にするためには色プラとスナップフィットは不可欠だったのだろうと思います。バンダイ偉い。

ガンプラは累計で4億個の出荷数を誇るそうですが、「ガンダム」の人気におんぶに抱っこしているわけではなく、プラモデルの技術革新という努力に裏付けられているのでしょう。

肝心の展示物ですが、モノは良くできているのに照明がイマイチ。
ア・バオア・クーはディティールが潰れて巨大感が出ていない。ドームシアターは外光が入って映像のコントラストが損なわれているなど。
美術館の学芸員さんを招いて照明設計を見直した方がいいような気がします。

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風の便り

陶芸部のOB会で東京へ。
これまでずっとOB会は京都で開かれていたのですが、関東在住の人が多いので試しに東京で開催することになりました。
前回から実に4年ぶり。

古いメンバーと連絡を取ろうとすると、世の中は変わったなあと改めて思います。
僕が学部の頃から携帯電話というものは存在していましたが、会社役員とか芸能人とか、限られた人しか所有できないシロモノでした。
余程親しかった友人なら卒業後に電話することも無くはないという程度で、同級生の消息を知るには年賀状かOB会、あるいは風の便りしかなかったのです。

今は正にインターネット時代。
SNSに登録しておけばお互いの日常は(世界中どこにいても)筒抜け。
何年も会っていない人でも、近状が分かっていれば「来週京都に行くよ」と連絡が取りやすくなります。
つくづく便利ですね。

さて、肝心のOB会ですが、下は卒業したばかりの若手から上は僕まで・・・・
そう、僕の同期は誰も参加せず、3学年下の人たちから数名ずつ。
幹事に「ぶっちぎりで最年長ですよ」と言われてしまいました。

確かに、FacebookやTwitterでも同期は見かけませんけどね。
デジタルデバイドという目に見えない壁がこんなところに有ったとは。

そんな訳で、午後2時という健全な時間にスタートし、午後8時というこれまた健全な時間に三次会が終了したのでした。
家庭を持つと健全になるんだんあ。

次回は京都開催を目指すそうです。
古いOBを誘って「最年長」を返上しなくては。

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旧手宮線

小樽雪あかりの路のボランティアに参加しました。昨年に続き2回目。

今年は旧手宮線の会場に配属されました。当日の気温はマイナス6度でしたが、昨年ほどには寒くない。
小樽市内は運河付近の湿度が高いため体感気温がものすごく低くなり、丘の上の小樽駅に向かうに従って暖かくなるという構造のようです。
手宮線は周りを建物に囲まれていて、あまり風が無いのも幸いでした。

僕の作業はスノーキャンドルの作成・補修です。先ずは吹雪で劣化してしまったキャンドル3基を新しく作りました。
ソリに雪と水を入れてかき混ぜ、粘土状になったところで丸めます。雪と雪をくっつけるためには水浸しにした方が良いとの事でしたが、これがかなり冷たい。
途中から「雪玉製造機」が登場して、少し楽になりましたが。

4人で作業しているとあっという間に午後4時半、点火の時間です。
2人1組になって蝋燭にガスバーナーで点火していきます。
ガスバーナーよりもチャッカマンの方が安全では?という気がしましたが、主催者によると「寒過ぎてガスが気化しないので、チャッカマンは使えない」との事。ガスバーナーもボンベを常に覆っていないと冷え過ぎて使えなくなることもあるのだとか。さすがは雪国です。

バケツ一杯の蝋燭を次々と点火。
日が沈むと観光客が増えてくるので、時間との勝負です。
作業を終えて会場を振り返ると、キャンドルが美しく光っています。とても自分で作ったとは思えない神々しさ。
観光客の「すごい」「素敵」という歓声に癒されます。

運営によれば、雪あかりの予算は2000万円程だとか。この金額で50万人を呼ぶイベントが運営できてしまうのは驚きです。ぜひ来年も参加しようと思いました。

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さっぽろ雪まつり2

市民雪像が完成しました。

今年は製作中に雨が降ってしまい、雪がズブズブな状態でした。
まるで発泡スチロールの様にサクサク削れてしまうので、会期中に倒壊してしまうのでは? と心配したほど。

最終日、皆が心配な面持ちで集合すると雪像はカチカチ。昨夜は気温が下がったため、程よい固さに雪が固まってくれました。
まるで製作スケジュールに合わせてくれたかのような気温の上げ下げ。
フクロウ親子は図面通りに仕上げることができたのでした。
動画や図面はこちらから。