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豚丼の聖地

日帰りで帯広旅行。

美術部の先輩が個展を開くので帯広まで見に行きました。
「帯広」と言っても道外の人にはイメージしにくいかもしれませんが、札幌から東に約200Km、特急で2時間半と結構離れています。東京ー名古屋間ぐらいの感じでしょうか。
道内的にはまあ近い方ですが、これまで通過するばかりで一度も観光したことがなかったのです。

せっかくの三連休なので宿泊でも、と心が動きましたが、初日は道内に寒波が来るらしいとのこと。
ニュースを見ていると、道東では観測史上最大の豪雪になったとか。道路が雪に埋没して、なかなか大変なことになっていたようです。
連休2日目の土曜日、快晴の空の下を帯広に向けてGo。

予定通り10:40に到着して先ずは個展を観覧します。
小さな画廊で10品ぐらいかな、と勝手に思っていたら、2室を借りて90点近い油彩が展示されていました。
先輩の作画エピソードを聞きながら回っているとあっという間に一時間半が経過。
もうちょっと時間をとっておくんだった。

今日のお昼は帯広名物の豚丼。
駅前の老舗「ぱんちょう」に並びます。
噂通り行列ができていましたが、流れがスムーズで15分ほどで着席。
お味の方は…みなさん現地で確かめてください。

帯広の農業高校を舞台にした漫画「銀の匙」が映画化されたことで、帯広市内はずいぶんと盛り上がっているようです。
このポスターに写っている子豚の名前は「豚丼」。駅構内で「豚どん」を売っていたので記念撮影。

続けてバスで十勝川温泉へ。
第一ホテルの浴室は二階建ての珍しい構造。川側と山側に二つの露天風呂がある贅沢な造りです。
次は泊りに来たいなあ。

帯広に戻って六花亭の本店喫茶店へ。
オーダーストップ直前に入店したので割と空いてる。
お茶が安いしお菓子も美味しい。30分しか滞在できなかったのが悔やまれるほどのクオリティでした。

あとは札幌に帰るだけ…と思っていたら、特急券のトラブル。
帯広までの割引往復券は、往復10500円の得割(スーパーとかち使用可)と、往復12800のR切符(スーパーおおぞら、とかち使用可)の二種類があります。
安い得割はスーパーおおぞらには乗車できないとのこと。そして、帰りのスーパーとかちは午後4時の便が最終でした。
駅員さんに聞くと、手持ちの券をキャンセルして、新たに正規料金で札幌行きチケットを買うしかないとのこと。
仕方ないので払い戻して買い直し。最後の最後で大ポカでした。
帯広17:50発、札幌20:19着で全行程を無事に終了したのでした。ふぅ。

Event 時間 備考 料金
札幌駅→帯広駅 0802-1036 スーパーとかち1号 7020円
 画廊 10:40-12:00 帯広市民ギャラリー
 昼食 12:00-12:30 ぱんちょう 950円
 柳月 12:30-13:00 1Fイートイン利用
帯広駅→十勝川温泉 13:26-13:51 十勝バス(45番) 500円
 温泉 14:00-16:10 第一ホテル豆陽亭 1000円
十勝川温泉→帯広駅 16:19-16:45 十勝バス(45番) 500円
 六花亭 17:00-17:30 2Fカフェ利用
帯広駅→札幌駅 17:50-20:29 スーパーおおぞら10号 7020円

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水深2尋

古い「近状」にも書きましたが、僕は2061年まではこの世にいるつもりです。
そのときには92歳。現在45歳なので約半分。そう思うと感慨深いですね。

2061年はハレー彗星が次にやってくる年です。
最近まで小説「2061年宇宙の旅」を読んだ影響だろうと思っていたのですが、元ネタがもう一つあることを思い出しました。小説家マーク・トウェインの逸話です。

マーク・トウェインはハレー彗星がやってきた1835年に生まれています。
生前のトウェインは「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と話していたそうです。
そして、自身の予言どおり、次にハレーがやって来た1910年に亡くなっています。
予言なのか執念なのかわかりませんが、面白い話ですね。

前回のハレー彗星最接近(1986年)にこの話を聞いて、自分に当てはめると2061年はキリがいいなと思い、2061年までは生きると言い出したのでした。
その頃は冗談でしたが、最近は割と本気で目指しています。
健康で長生きしたいですね。

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45年後

映画「のび太の大魔境」が絶賛公開中ですが、ドラえもんの最終回はいくつあるかご存知ですか?
調べてみると(ほとんどWikipediaに載ってますが)、沢山ありますねえ。

優等生的な答え<ドラえもんはいつまでも続く>
ドラえもんはループ世界なので、雑誌連載が終わっても彼らは永遠にあの世界で暮らしている・・・のです。
便宜的な最終回1「ドラえもん未来へ帰る」
1971年掲載。藤子不二夫全集1巻収録
連載開始から1年後に描かれたもの。当時の連載が小学館の「小学四年生」のため、5年生に進級すると読めなくなるという特殊な事情から描かれた。
タイムトラベルの禁止によりドラえもんが現代に留まることができなくなる話。
便宜的な最終回2「ドラえもんがいなくなっちゃう?」
1972年掲載。藤子不二夫全集1巻収録
「ドラえもん未来へ帰る」と同様な理由により描かれた。
のび太の成長によりドラえもんが未来に帰る話。
この後は掲載紙が拡大されたため、年度末の最終回は描かれなくなった。
暫定的な最終回「さようならドラえもんの巻」(第1期テレビ版)
1973年放送。(ソフト未発売)
日本テレビのアニメ版ドラえもんの最終回として作られた。
ストーリーは「ドラえもんがいなくなっちゃう?」に準じる。
撤回された最終回「さようならドラえもん」
1974年掲載。てんとう虫コミックス6巻収録
諸事情から連載終了となり描かれたもの。ドラえもんが未来へ帰る話であり、ストーリー的にも最終回らしい決着が描かれている。
執筆後に諸事情から(作者が思い直した説。読者の反響説)「帰ってきたドラえもん」が描かれることなり、「最終回」として作られながらも撤回された。シャーロック・ホームズ譚の「最後の事件」的な扱い。
都市伝説の最終回<のび太が病気>
1986年ごろに流行した噂。出典や伝播経路は不詳。
ドラえもんの最終回が夢オチだったなど派生形が幾つか存在するが、作者が公式に否定している。
二次創作の最終回<電池切れ>
1990年代にファンによって作られた小説および漫画。
ネットや同人誌で広がったが、小説は二次作者の意向で公開停止。二次創作漫画版は著作権問題でお蔵入りとなった。
ドラえもんが電池切れで動作しなくなり、ある科学者によって復活するというもの。
映画「ジュブナイル」(2000年)はこの話がヒントとなったことを公表している。
気分は最終回「45年後・・・」
1985年掲載。てんとう虫コミックス ドラえもんプラス5巻収録
のび太のところに45年後の大人のび太がやってくる話。
ページ数も少なく、特に感動的な盛り上げも無いため読み飛ばしてしまいそうですが、「もしこれが最終回だったら?」と想像しながら読むと含蓄の深い作品です。
小学館の学習誌でのドラえもんの連載は1991年まで続いている。体調不良による執筆中断期(1987年)、コンビ解消(1988年)とも時期がずれており、最終回を意識して描かれたのかは不明。
掲載された最終回「ガラパ星から来た男」
1994年掲載。てんとう虫コミックス45巻収録
小学館の学習雑誌での連載が終了した後、連載25周年を記念して描かれたもの。
連載誌に載った最後のエピソードであり、単行本の最終巻の巻末に掲載されている。書誌学的にはこれが最終回であろう。
銀河中心にある「ガラパ星」の遺伝子操作で作られたアリと戦う話。タイムパラドクスが駆使されており読み応えはあるが、ドラえもんシリーズの終わりを匂わせるような内容は含まれない。
ひとまず最終回「ドラえもんに休日を?!」
2005年放送。(ソフト未発売?)
1979年から続いていたアニメ版のスタッフ総入れ替え(声優・制作)に伴う区切りの作品。
通常放送の最終回として「45年後・・・」、翌週の特番では「ドラえもんに休日を?!」が放送された。
「~休日を」の原作(てんとう虫コミックス35巻)は、のび太の自立をテーマにしているが、最終回らしさはないため、アニメ版ではエピソードを膨らませ「現スタッフで作る最終回」にふさわしい話となった。

などなど、多岐にわたります。
どれを最終回とみなすかは読み手に委ねられている、ということで良いでしょう。

僕は「45年後・・・」が最終話にふさわしいと思います。
大人のび太と少年のび太が年齢差からチグハグな会話を交わし、それでも最後はお互いに何かを得て日常に戻っていくという象徴的な構成であることがその理由ですね。
少年時代は永遠に終わってほしくない、けれど「成長」を避けて通ることはできないという葛藤を、タイムマシンで上手く回避しています。

ドラえもんの連載開始は1969年12月なので、今年で連載45年です。
ついでに、僕も今日で生誕45年になりました。
大人のび太の語る「遠い昔によんだ本をもう一度よみ返してみたい。そんな気もちかな」というセリフが、ようやく実感できるようになってきました。

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Over the 3000

本年度の自転車走行の累計が3000Kmを越えました。
昨年は11月11日に達成したので、今年は約1週間遅れです。8月の長雨が悔やまれる。

本日のコースは東千歳までの往復100Km。
午前9時にサイクリングロード集合。北広島→長沼と勝手知ったる道を延々と進みます。
初めて長沼を走ったときは地平線まで続く道に距離感を失いかけましたが、何度か走ってランドマークが頭に入ると楽しい。無意識のうちにペース配分出来ているんでしょうね。
東千歳バーベキューマオイの丘と回って15:30に解散。

早めの解散のような気がしますが、本日の日没は16:10。すでに空は暗くなりかけています。高緯度地方の昼は短いですね。

といいつつ、真っ直ぐ家に帰らず苗穂温泉へ寄り道。
温泉なのに入浴料420円と格安。寒空の下酷使した筋肉をほぐしてきたのでした。
ロングラン+温泉のコンボは実に快適。来シーズンは定番にしようかな。

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そして沈黙

Image 1 いささか旧聞ですが、札幌市の自転車走行空間で死亡事故が起きたとの事。
被害者のご冥福をお祈りします。

事件が起きたのは2013年7月19日、札幌市中央区の自転車走行空間です。
60歳の男性が信号待ちで停止していたところ、後方から来た乗用車に轢かれたというもの。
この事件が特異なのは「停止中に後ろから轢かれた」「事故が自転車用レーンで起きた」という2点でしょう。

この自転車用レーンは昨年実験的に設置されたものです。
北1条通りの西4〜7丁目の4ブロックに渡って、路肩が青く塗られています。
現場を自転車で通ってみましたが、路上駐車の多さと、ランブルストリップ(細かい段差を連続的に設ける)と、無茶苦茶な誘導ラインの引き方で「とても走れたものではない。真面目に走ると死ぬ」と思いました

Fig.1今回の死亡事故が起きたのは、その中でも特に危険だった西6丁目の地下駐車場出口。
ここを通る自転車は、前方の駐車場出口を避けるため、外側線をまたいで第1車線に出るというアクロバティックな動きを要求されます。後続の車から見たら「自転車何やってんだ!」と怒られて当然の挙動を強制されるのです。

車道に出た直後に、今度は路肩へ戻るラインが引かれています。
ところが、この導線は地下駐車場出口の導線と交差します(写真1)。駐車場を出るクルマから自転車はブラインドで見えないし(写真2)、クルマは右折気味で自転車は左折気味に交差する(写真3)という、事故を起こすために設計したとしか思えない無茶苦茶な構造になっています。

Image 2あまりにバカバカしいので、北海道開発局に設計意図を問い合わせました。
担当者曰く「自転車は路肩、第1車線どちらの走行も認められているのだから、レーンの構造は正しい」の一点張りです。
挙げ句の果てに「この場所が少し通り難い事は知っているが、そこを自転車がどう通るかも含めて社会実験と考えている」との発言です。
それは他人の命を危険に晒してまで実験する必要がある事でしょうか? そのように尋ねてみたのですが、まともな答えは返ってきませんでした。

Image 3そこへ来て今回の事故です。
停止線で停車中に追突されたのですから、自転車には何の非もありません。
クルマの不注意も責められるべきですが、そもそもこんな危険な構造を作った者も何らかの責任を問われるべきでしょう。

Image 4しかし、責任者である札幌開発建設部も、担当者であるらしい札幌都心部自転車対策連絡協議会も、現時点では何も声明を出していません。
「社会実験」を名乗る場所で事故が起きたのだから、構造上の欠陥がなかったのか、事故はどうして起きたのか、市民に知らせるのが義務です。
それを放棄した組織が作ったブルーレーンは殺人装置と呼ぶ他ありません。