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レプリカ時計台(にせ時計台)

札幌市内にある「レプリカ時計台」を巡ってきました。
詳細な写真はギャラリーからどうぞ。
札幌市内の各所には「時計台に似た建物」が幾つかあります。完成度は、雰囲気を真似してみましたから、かなり本気で再現したものまで様々。
市内の主なレプリカ時計台を結ぶ道のりは約40Km。丁度いい距離なので一日で回ってみました。
名前は区別のために適当に付けたものです。

東区役所時計台:場所
東区役所のエントランス上に時計部分だけを再現したもの。土台部分は4面ガラス張りになっており、東区の特産物であるタマネギのオブジェが置かれている。更に、1時間に1回タマネギが上下に割れて、回転する白馬が現れるというツッコミ所の多いギミックが隠されている。
時計は3面。開拓史の星マークなし。
北郷時計台:場所
JR平和駅の北側にあるレストラン。本物より横幅が狭いですが、2階建てで時計以外の再現度も中々。
時計は正面のみ、開拓史の星マークなし、
新札幌時計台:場所
JR新札幌駅近くにある建設会社の社屋。JRからも見えるため、本物の時計台と勘違いした観光客が下車して見に行ったという武勇伝もあるらしい。時計部分のみの再現だがディティールは最も精巧、3階建ての社屋外壁も板張り風となっており、努力の跡が偲ばれる。
時計は4面。開拓史の星マークなし。
円山時計台:場所
地下鉄東西線円山公園駅近くにあるケンタッキー・フライドチキン。これをレプリカ時計台に数えて良いのか微妙な出来だが、屋根の色と形は時計台を意識していると思われる。
時計、開拓史の星マークなし。
西野時計台:場所
札幌市西区の八木病院横にある薬局。平屋でエントランス屋根と時計部分が再現されている。景観に配慮したのか屋根が緑色に塗られている。壁も緑色っぽいが、実は本家の時計台の色に一番近い。
時計は1面。開拓史の星マークあり。
札幌市時計台:場所
本家の札幌時計台。
時計は4面。開拓史の星マークあり


(「にせ時計台」と呼ぶ人もいますが、このページでは「レプリカ時計台」とします)

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歯医者さん

歯が欠けてしまいました。

食事中に口の中でガキッと云う音がしたので「小石でも入っていたかな?」と見てみると、白いエナメル片でした。
そして口の中が妙にトゲトゲしている。舌で弄ると下の前歯の先端が3mmほど欠けています。

痛みはないし食事にも差し障りなさそうですが、歯先がノコギリのようになってるのでチョット怖い。
ネットで調べても「欠けた歯を放置するのは危険」と怖い報告が上がっていました。

幸い職場のすぐ近くの歯医者さんで後輩くんが勤務しているので予約。
実に15年ぶりに歯医者を訪れたのでした。

因みに、15年前は上側の犬歯が欠けたのでした。
この時、人工の歯を付け足したのですが、経時変化で接合面に隙間が空いてしまいました。
ここだけ変色して嫌な感じだったので、ついでにこちらも修理、というか治療。

小学校の頃は歯科医なんて恐怖の大魔王レベルに怖かったものですが、最近は部屋も綺麗だし、ドリルの音も振動も小さい。
30分ほどの治療で、上下ともスッキリ治ったのでした。
ついでに見てもらった他の歯も問題ないとのことで、身も心も晴れやか。
これで治療費3000円とは。医学の進歩(だよね?)は素晴らしい!

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20周年

北海道に移住して今日で20年になります。

受験の時はフェリーでしたが、授業が一段落ついたあとはバイトに励み、何とか飛行機代を工面したのでした。
片道だけの航空券を買い、「少なくとも半年は帰らないぞ」と、あまり厳しくない誓いを立てて伊丹空港に向かったのが1994年3月28日(月)のこと。
大学の友人に見送られてANAで飛び立ったのでした。

この日の夜は札幌のユースホステルに泊まった記憶があります。
契約したアパートが翌々日にならないと完成しないため、札幌に住所がありながら市内ユースに泊まるという妙なことをしたのでした。
日程をアパートの完成に合わせれば良かった筈で、なぜ僕は2日も早く札幌に来たのか、このページを書きながら不思議に思いました。

当時の日記を開いてみて疑問が氷解。この日の夜に札幌で裕木奈江のコンサートがあったのです。そういえば当時はファンクラブに所属していて、優先的に入場券がもらえた気がします。
人生の一大事をアイドルのコンサートに合わせていたとは、20年ぶりに思い出す赤面の事実でした。(;^_^A

北海道は想像以上に広くて、まだまだ回りきれていません。
地平線に青い空、緑の丘と誰もいない峠道。
気力の続く限り「試される大地」を回ってみようと思います。

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水深2尋

古い「近状」にも書きましたが、僕は2061年まではこの世にいるつもりです。
そのときには92歳。現在45歳なので約半分。そう思うと感慨深いですね。

2061年はハレー彗星が次にやってくる年です。
最近まで小説「2061年宇宙の旅」を読んだ影響だろうと思っていたのですが、元ネタがもう一つあることを思い出しました。小説家マーク・トウェインの逸話です。

マーク・トウェインはハレー彗星がやってきた1835年に生まれています。
生前のトウェインは「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と話していたそうです。
そして、自身の予言どおり、次にハレーがやって来た1910年に亡くなっています。
予言なのか執念なのかわかりませんが、面白い話ですね。

前回のハレー彗星最接近(1986年)にこの話を聞いて、自分に当てはめると2061年はキリがいいなと思い、2061年までは生きると言い出したのでした。
その頃は冗談でしたが、最近は割と本気で目指しています。
健康で長生きしたいですね。

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45年後

映画「のび太の大魔境」が絶賛公開中ですが、ドラえもんの最終回はいくつあるかご存知ですか?
調べてみると(ほとんどWikipediaに載ってますが)、沢山ありますねえ。

優等生的な答え<ドラえもんはいつまでも続く>
ドラえもんはループ世界なので、雑誌連載が終わっても彼らは永遠にあの世界で暮らしている・・・のです。
便宜的な最終回1「ドラえもん未来へ帰る」
1971年掲載。藤子不二夫全集1巻収録
連載開始から1年後に描かれたもの。当時の連載が小学館の「小学四年生」のため、5年生に進級すると読めなくなるという特殊な事情から描かれた。
タイムトラベルの禁止によりドラえもんが現代に留まることができなくなる話。
便宜的な最終回2「ドラえもんがいなくなっちゃう?」
1972年掲載。藤子不二夫全集1巻収録
「ドラえもん未来へ帰る」と同様な理由により描かれた。
のび太の成長によりドラえもんが未来に帰る話。
この後は掲載紙が拡大されたため、年度末の最終回は描かれなくなった。
暫定的な最終回「さようならドラえもんの巻」(第1期テレビ版)
1973年放送。(ソフト未発売)
日本テレビのアニメ版ドラえもんの最終回として作られた。
ストーリーは「ドラえもんがいなくなっちゃう?」に準じる。
撤回された最終回「さようならドラえもん」
1974年掲載。てんとう虫コミックス6巻収録
諸事情から連載終了となり描かれたもの。ドラえもんが未来へ帰る話であり、ストーリー的にも最終回らしい決着が描かれている。
執筆後に諸事情から(作者が思い直した説。読者の反響説)「帰ってきたドラえもん」が描かれることなり、「最終回」として作られながらも撤回された。シャーロック・ホームズ譚の「最後の事件」的な扱い。
都市伝説の最終回<のび太が病気>
1986年ごろに流行した噂。出典や伝播経路は不詳。
ドラえもんの最終回が夢オチだったなど派生形が幾つか存在するが、作者が公式に否定している。
二次創作の最終回<電池切れ>
1990年代にファンによって作られた小説および漫画。
ネットや同人誌で広がったが、小説は二次作者の意向で公開停止。二次創作漫画版は著作権問題でお蔵入りとなった。
ドラえもんが電池切れで動作しなくなり、ある科学者によって復活するというもの。
映画「ジュブナイル」(2000年)はこの話がヒントとなったことを公表している。
気分は最終回「45年後・・・」
1985年掲載。てんとう虫コミックス ドラえもんプラス5巻収録
のび太のところに45年後の大人のび太がやってくる話。
ページ数も少なく、特に感動的な盛り上げも無いため読み飛ばしてしまいそうですが、「もしこれが最終回だったら?」と想像しながら読むと含蓄の深い作品です。
小学館の学習誌でのドラえもんの連載は1991年まで続いている。体調不良による執筆中断期(1987年)、コンビ解消(1988年)とも時期がずれており、最終回を意識して描かれたのかは不明。
掲載された最終回「ガラパ星から来た男」
1994年掲載。てんとう虫コミックス45巻収録
小学館の学習雑誌での連載が終了した後、連載25周年を記念して描かれたもの。
連載誌に載った最後のエピソードであり、単行本の最終巻の巻末に掲載されている。書誌学的にはこれが最終回であろう。
銀河中心にある「ガラパ星」の遺伝子操作で作られたアリと戦う話。タイムパラドクスが駆使されており読み応えはあるが、ドラえもんシリーズの終わりを匂わせるような内容は含まれない。
ひとまず最終回「ドラえもんに休日を?!」
2005年放送。(ソフト未発売?)
1979年から続いていたアニメ版のスタッフ総入れ替え(声優・制作)に伴う区切りの作品。
通常放送の最終回として「45年後・・・」、翌週の特番では「ドラえもんに休日を?!」が放送された。
「~休日を」の原作(てんとう虫コミックス35巻)は、のび太の自立をテーマにしているが、最終回らしさはないため、アニメ版ではエピソードを膨らませ「現スタッフで作る最終回」にふさわしい話となった。

などなど、多岐にわたります。
どれを最終回とみなすかは読み手に委ねられている、ということで良いでしょう。

僕は「45年後・・・」が最終話にふさわしいと思います。
大人のび太と少年のび太が年齢差からチグハグな会話を交わし、それでも最後はお互いに何かを得て日常に戻っていくという象徴的な構成であることがその理由ですね。
少年時代は永遠に終わってほしくない、けれど「成長」を避けて通ることはできないという葛藤を、タイムマシンで上手く回避しています。

ドラえもんの連載開始は1969年12月なので、今年で連載45年です。
ついでに、僕も今日で生誕45年になりました。
大人のび太の語る「遠い昔によんだ本をもう一度よみ返してみたい。そんな気もちかな」というセリフが、ようやく実感できるようになってきました。