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タッチ・アンド・ゴー

一泊二日で京都旅行。いつもに増してジタバタした日程でした。

IMG_0349先ずはNHK「あまちゃん」。朝ドラとして久々の大ヒットで、日本中が最終回に注目しています。
旅行の予約をした後で最終回と旅行初日が被っている事に気づきました。
“早あま”はバス移動中、”朝あま”は空港内、”昼あま”は電車で移動中、”夜あま”は宴会中と見る手段が無い。
“撮りあま”しているけれど、うっかり旅先でオチを聞いてしまうと悔しい。

唯一のチャンスは”朝あま”です。空港の待合ロビーに入ってしまえば、沢山あるテレビのうちどれか一つは放送しているハズ・・・と思いきや、ピーチ航空のチェックインは8:15からなのでロビーには入れません。
空港のフリーエリアにもテレビが置いてあって以前はNHKを流していたんだけど、最近は民放ばかり。リモコンは置いてあるのですが、いつも電池切れでチャンネルを変えられない。
今日こそは、と期待して行ったのですが、やはり民放を流していました。リモコンはもちろん電池切れ。

テレビがあるのはフリーエリア2階の北端(ANA側)です。ということはレイアウト的に南端(JAL側)にもテレビがあるのでは?と長いロビーを歩いてみると、ありました。しかもNHKを流している。
ギリギリ放送開始に間に合って最終回を見ることができたのでした。
朝から何やってんだ。


IMG_0361ピーチ航空で千歳→関空(0945-1150)、電車で関空→祇園四条(1220-1430)と移動は滞りなく完了。北海道から関西が2時間なのに、関空から京都が同じだけかかるって、何かが激しく間違ってると思う。何かって、もちろん関空の立地ですが。

IMG_0373京都に着いてもジタバタします。
今日の目的は(1)六波羅蜜寺「幽霊子育て飴」を買う。(2)太秦の「三柱鳥居」を見る。(3)嵐山で渡月橋が無事なことを確認する。(4)美術部のOB展の懇親会に出る、です。
京都到着が14:30で懇親会が17:30。3時間しかありません。
チェックインを済ませてレンタサイクルを借ります。これだけで45分経過。既に15:15。
このあと、六波羅蜜寺(15:30)→三柱鳥居(16:10)→嵐山(16:50)→寺町(17:30)と流れるような移動で間に合わせました。移動24Km。なんとかミッションクリア。

IMG_0403美術部の懇親会を終え、ほっとしたのもつかの間、二次会への移動でトラブル発生。
15人ほどがタクシー4台に分乗したのですが、目的地を正確に知っているのは1人だけ。しかも住所は分からなくて「近くに行けば分かるから着いてきて」というアバウトな指示なので「前の車を追ってくれ」という刑事ドラマみたいなことになってしまいました。
しかし、土曜夜の河原町でスムーズに移動できるはずもなく、信号で逸れてしまいました。

仕方なく前車に乗っている人に電話をしたのですが、その人も目的地を知らないので「今出川を過ぎたところ、左手にラーメン屋が見えるので右に曲がって・・・」と伝言ゲーム状態です。
5分ほどグルグルして、ようやく合流することができました。

IMG_0427たどり着いたのは閑静な住宅街。ここにバーがあるの? と心配しながら進むと、先輩はどう見ても民家のドアをくぐっていきます。
玄関先には「会員制」の文字。これがうわさに聞く「一見さんお断り」なのでしょうか。

グラスワインで1000円というクラクラするメニュー表に、おっかなびっくりで注文。
最終的にはリッチな大先輩が立て替えてくれたようです。有り難い。

この後は三次会に出席して午前0時半解散。
ホテルまでは4Kmほどありましたが、久々の京都なので夜の散歩を楽しみました。
思わぬところに神社があったり、入り組んだ路地があったりと楽しい。
京都にいた頃にロードに乗っていればもっと楽しかっただろうなあ。

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7305歩のマーチ

今日で北海道初上陸から20年になります。
大学院を受験するためフェリーで20時間かけて小樽港に到着したのが1993年9月6日(月)の事でした。
7日〜9日と3日間の試験を終え、合格発表が9月25日(土)。この9月が僕の半生の分岐点でしたね。

受験の足にフェリーはリスクが高いですが、当時は飛行機代が今と比べ物にならないほど高額だったのです(片道5万円以上?)。フェリーを使えば片道1万円弱というのが学生には魅力でした。京都→舞鶴(約2000円)、舞鶴→小樽(約6000円)、小樽→札幌(約500円)ぐらいだったような。
近頃はLCCのおかげで、札幌・関西の飛行機は片道1万円程度ですね。

余談ですが、関西の大学生は青春18きっぷ+フェリーで北海道旅行をするというのが夏休みのトレンドでした。

僕が初上陸する2ヶ月前。1993年7月には北海道南西沖地震が発生しています。地震発生直後はニュースもたくさん流れていましたが、一段落すると続報は途絶えてしまいました。
札幌は影響あるんだろうか? と心配しながら船に乗ったような覚えがあります。
結局、札幌は影響なかったようですね。

修士課程を卒業したら関西に戻って・・・と考えていましたが、北海道の大自然の魅力に取り付かれてしまい、そのまま居座ることに。
20年を日数に直すと7305日、次は一万日目を祝いましょうかね。(2021年1月22日のようです)

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やつらの足音のバラード

夏休みは富良野旅行。
6月に行ったばかり、というか去年も来ていますが気にしない。
札幌から近いし交通の便が良いので計画が立てやすいのです。

今回の目的は「なるべく人が少ないところに行く」です。探せば意外とあるのです。

先ずは札幌→富良野直通のラベンダーエクスプレスに乗車。贅沢なことに個室を取ってしまいました。
1室4000円で4名まで座れます。3室しかないのに1室しか埋まっていないとの事。案内がイマイチ分かり難いもんね。おかげで前日なのに予約できました。

いざ乗ってみると個室はものすごく快適。
座席はゆったりしているし窓の景色も独占できる。人目が無いので寝転がろうが着替えようが自由です。
通路側には大きな窓がありますが、ここは液晶になっていて、スイッチを入れると半透明になる仕組み。面白い。
一室4000円の追加でこの贅沢ができるなら、グループ旅行には良いと思います。

富良野駅でレンタカーを借りて富良野岳山麓の「カフェ ベベルイ」へ。
去年から参加している「富良野アースライド」で湧き水を飲んだ場所です。ここに併設されている喫茶店が気になっていたので行ってみました。
閉店間際で他の客が居らず、店長さんと雑談してきました。店長さんは本州からの移住組で、色々有ってこの場所を譲り受けたのだとか。内装が凝っていると思ったら、数年掛けて自分で作られたそうです。
店を出るとちょうど夕焼け。期待通りの好ロケーションでした。

本日の宿は「なからふらの山荘」。周囲に建物は無く、道路に街灯も無く、周りを林に囲まれているという孤立したロケーション。
町の灯りも届かないので夜になると本当に真っ暗。せっかくなので懐中電灯を持って町営ラベンダー園まで散歩してみました。
ラベンダー園は50mほどの斜面になっていますが、頂上と山荘の標高が同じなのでアップダウン無しでラベンダー園へ。眼下に広がるラベンダー越しの夜景が見事。
昼間は人がたくさん居る場所ですが夜は誰も居ません。散歩道は適度に入り組んでいるので肝試しには絶好のロケーションですね。

期待通りの「何もない」を体験できて大満足でした。

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グレートアース富良野(Day 2)

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いよいよグレートアース富良野の当日。
午前5:30起床、6:00会場着という気合の入った行動です。

IMG0077我々の参加する115kmコースには足切りが設定されており、これに引っかからないため最前列に陣取って少しでも早くスタートしようという計画だったのです。
その甲斐あって最前列を確保。スタートに向けて徐々に人が増えて行きます。その数800名!

予定通り7:30にスタート。まずは10km先の「富田メロン」を目指します。先頭集団は35km/hという超ハイペース。
富良野の美しい景色と集団走行のお陰で何とかついて行けます。

IMG0082僕は今回、スポーツ用の心拍計をつけていました。予め設定した心拍数を上回ると「ペースダウンしなよ」とアラートを出してくれる優れものです。
普段なら150に設定しておけば大丈夫なのですが、ハイペース走行のお陰で心拍はどんどん上昇し、アラートが鳴りっぱなし。仕方ないので上限180に設定し直しました。

アラートが鳴らなくなったので走行に集中。
富田メロン、日の出公園、拓真館と順調にチェックポイントを通過します。

IMG0131上富良野から麓郷に向かう坂が厳しいのですが何とかクリア。
グループが多少バラけてきたので、最後のチェックポイントで時間待ち。
あと10Kmでゴールか、と皆さん感慨にふけっています。

IMG0165ほぼ予定通りに15:00ゴール。
16:35の特急で札幌に戻ってきました。
自転車は一人で黙々と走るストイックな趣味だと思っていましたが、こういう走行会はいいものですね。

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グレートアース富良野(Day 1)

グレートアース富良野」に参加。
富良野の大自然を自転車で走って、各チェックポイントで名産品を味わおうという走行イベントです。
コースは55Km, 85Km, 115Kmの3つ。僕は115Kmに参加しました。
レースではないのでタイムや順位は競いません。

イベントは日曜朝7:30スタートなので土曜に富良野入り。今回はmixiライダー倶楽部でコテージを借りました。
皆さんはそれぞれ車に便乗して来るようですが、協調性の無い僕は一人でJR輪行です(w)。

12:00札幌発→13:20旭川着/13:38旭川発→14:11美瑛着。

旭川行きのJRで2人掛けの席に1人で座っていると、発車直前に若いカップルが乗り込んできました。
2人掛けの席は空いていなかったので男性が僕の横に、女性は少し離れた席に座りました。
会話を聞いてると、東京の大学に通う中国人留学生が夏休みに北海道旅行に来た感じ。
旭川まで1時間半も離れ離れは可哀想なので座席を代わってあげました。

実はこの2人、目的地は旭川でなく美瑛でした。駅を出て自転車を組み立てていると「先ほどはどうも」と流暢な日本語で挨拶。
更に、翌日の富良野駅でもバッタリ出会ってしまいました。
観光地はコース選択が限られるから、こういうことが良くありますよね。

美瑛ではケンとメリーのポプラ、親子の木と定番コースを巡回。
どれも立派な駐車場と案内看板ができて、ウェルメイドな感じになってますね。

今回は「嵐の木」を探してみました。
JALのCMでアイドルグループ「嵐」がロケをした場所です。嵐が5人で木が5本、これが人気を呼んで新たな観光スポットになりつつあるのだとか。
美馬牛駅の近くだという他は情報がなかったのですが、あっけなく見つかりました。
山のような路駐とカメラを構えた観光客で、見逃しようがありません。

とくに思い入れはないので、とりあえずパチリ。

17:11美馬牛発、17:39富良野着。
大学時代の知り合いがたまたま富良野に遊びに来ているとのことで、富良野駅前で一緒に夕食。
彼はこれからバイクで釧路を目指すんだとか。ワイルドですね。

19:30にライダー倶楽部の面々と合流。
明日は早起きだというのに12時近くまで宴会をして就寝となったのでした。
さて、明日は晴れるかな?

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桜前線

20130406-143601所用で東京へ。
時間があったら上野公園の桜を見ようと楽しみにしていました。しかし、今年はいつになく開花が早く、3月中にはピークを過ぎてしまったとの事。

それでも、都内を電車で移動していると、ところどころに色付いた桜の木が見えます。
出先の近くの公園にも桜があったので近づくと、数輪だけ花が残っており、あとは落花直後のピンクの萼が見えていたというオチでした。残念。

北海道での開花は例年通りゴールデンウイーク頃とのこと。
春の足音を聞きながら、気長に到来を待つことにします。

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4億の軌跡

東京二日目は特に予定なし。
お台場の「ガンダムフロント東京」に行ってみました。
2009年に作られた「実物大ガンダム」を始め、ア・バオア・クーや実物大コアファイターが展示されているという新たな聖地。

歴代のガンプラを展示したスペースが凄まじい。
各時代の1/144スケールを並べることでガンプラの進化の様子がよく分かります。

ガンプラには大きく4つの転換点がありました。(俺調べ)

1.ポリキャップ
可動軸を円柱状のゴムで覆うことで関節の「ヘタリ」を無くし、パーツを塗装後に組み上げる事ができるようになりました。
2.「ムーバブルフレーム」という考え方

初期のガンプラは装甲がそのまま関節のヒンジになっていたのですが、ムーバブルフレームでは先ず可動する骨格が設計され、装甲はフレームに被せる物という考え方です。
これによりデザインはより精緻になり、スケールモデル並みのリアリティが生まれました。
3.色プラ
パーツ毎に色の違うプラスチックで成型することで、色を塗らなくてもアニメの設定どおりの色分けができるという代物です。
組み上げるだけで見栄えがすることから、ライト層の獲得に貢献したと思います。
現在の色プラは一つのパーツが一つの色ですが、初期には1パーツ3色という驚異の成型技術を駆使したプラモデルもありました(機甲戦記ドラグナー)。
4.スナップフィット
接着剤を塗らなくても、パーツをパチっとはめ込むだけで組み立てられるものです。
今となっては信じ難いことかもしれませんが、プラモデル用の塗料や接着剤は溶剤にシンナーが使われているため、ある種の中毒症状があるとしてPTAから目を付けられていた時期があるのです。
プラモデルを「健全なホビー」にするためには色プラとスナップフィットは不可欠だったのだろうと思います。バンダイ偉い。

ガンプラは累計で4億個の出荷数を誇るそうですが、「ガンダム」の人気におんぶに抱っこしているわけではなく、プラモデルの技術革新という努力に裏付けられているのでしょう。

肝心の展示物ですが、モノは良くできているのに照明がイマイチ。
ア・バオア・クーはディティールが潰れて巨大感が出ていない。ドームシアターは外光が入って映像のコントラストが損なわれているなど。
美術館の学芸員さんを招いて照明設計を見直した方がいいような気がします。

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風の便り

陶芸部のOB会で東京へ。
これまでずっとOB会は京都で開かれていたのですが、関東在住の人が多いので試しに東京で開催することになりました。
前回から実に4年ぶり。

古いメンバーと連絡を取ろうとすると、世の中は変わったなあと改めて思います。
僕が学部の頃から携帯電話というものは存在していましたが、会社役員とか芸能人とか、限られた人しか所有できないシロモノでした。
余程親しかった友人なら卒業後に電話することも無くはないという程度で、同級生の消息を知るには年賀状かOB会、あるいは風の便りしかなかったのです。

今は正にインターネット時代。
SNSに登録しておけばお互いの日常は(世界中どこにいても)筒抜け。
何年も会っていない人でも、近状が分かっていれば「来週京都に行くよ」と連絡が取りやすくなります。
つくづく便利ですね。

さて、肝心のOB会ですが、下は卒業したばかりの若手から上は僕まで・・・・
そう、僕の同期は誰も参加せず、3学年下の人たちから数名ずつ。
幹事に「ぶっちぎりで最年長ですよ」と言われてしまいました。

確かに、FacebookやTwitterでも同期は見かけませんけどね。
デジタルデバイドという目に見えない壁がこんなところに有ったとは。

そんな訳で、午後2時という健全な時間にスタートし、午後8時というこれまた健全な時間に三次会が終了したのでした。
家庭を持つと健全になるんだんあ。

次回は京都開催を目指すそうです。
古いOBを誘って「最年長」を返上しなくては。

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旧手宮線

小樽雪あかりの路のボランティアに参加しました。昨年に続き2回目。

今年は旧手宮線の会場に配属されました。当日の気温はマイナス6度でしたが、昨年ほどには寒くない。
小樽市内は運河付近の湿度が高いため体感気温がものすごく低くなり、丘の上の小樽駅に向かうに従って暖かくなるという構造のようです。
手宮線は周りを建物に囲まれていて、あまり風が無いのも幸いでした。

僕の作業はスノーキャンドルの作成・補修です。先ずは吹雪で劣化してしまったキャンドル3基を新しく作りました。
ソリに雪と水を入れてかき混ぜ、粘土状になったところで丸めます。雪と雪をくっつけるためには水浸しにした方が良いとの事でしたが、これがかなり冷たい。
途中から「雪玉製造機」が登場して、少し楽になりましたが。

4人で作業しているとあっという間に午後4時半、点火の時間です。
2人1組になって蝋燭にガスバーナーで点火していきます。
ガスバーナーよりもチャッカマンの方が安全では?という気がしましたが、主催者によると「寒過ぎてガスが気化しないので、チャッカマンは使えない」との事。ガスバーナーもボンベを常に覆っていないと冷え過ぎて使えなくなることもあるのだとか。さすがは雪国です。

バケツ一杯の蝋燭を次々と点火。
日が沈むと観光客が増えてくるので、時間との勝負です。
作業を終えて会場を振り返ると、キャンドルが美しく光っています。とても自分で作ったとは思えない神々しさ。
観光客の「すごい」「素敵」という歓声に癒されます。

運営によれば、雪あかりの予算は2000万円程だとか。この金額で50万人を呼ぶイベントが運営できてしまうのは驚きです。ぜひ来年も参加しようと思いました。

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さっぽろ雪まつり2

市民雪像が完成しました。

今年は製作中に雨が降ってしまい、雪がズブズブな状態でした。
まるで発泡スチロールの様にサクサク削れてしまうので、会期中に倒壊してしまうのでは? と心配したほど。

最終日、皆が心配な面持ちで集合すると雪像はカチカチ。昨夜は気温が下がったため、程よい固さに雪が固まってくれました。
まるで製作スケジュールに合わせてくれたかのような気温の上げ下げ。
フクロウ親子は図面通りに仕上げることができたのでした。
動画や図面はこちらから。